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大阪市中央区の上田公認会計士事務所の上田です。
蝉の大合唱に夏の訪れを知るこの頃、皆様はいかがお過ごしでしょうか。
今回は、ノートルダム清心学園理事長 渡辺和子氏のご著書、「置かれた場所で咲きなさい」という本をご紹介します。
様々な良い言葉が散りばめられた本ですが、その中でも心に残った2つをご紹介します。
・人はどんな場所でも幸せを見つけることができる
渡辺氏は、36歳という若さで、岡山のノートルダム清心学園の三代目学園長を任されることとなりました。
前任者が急逝したことによるものですが、一代目二代目が共に70歳を超えた方だったことを考えると、異例の抜擢であったことがわかります。
渡辺氏は、思いがけない役職に就き、未経験の事柄に連続してぶつかるという苦労を経験されました。
「あいさつしてくれない」こんなに苦労しているのに「ねぎらってくれない」「わかってくれない」…自信を喪失していた時、一人の宣教師がくれた言葉が『置かれたところで咲きなさい』だったのだそうです。
この言葉により、渡辺氏は変わりました。
「置かれた場所に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸せになったりしては、私は環境の奴隷でしかない。
人間として生まれたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり自分の花を咲かせよう。」と、決心されたのです。
自分から率先してあいさつし、ほほえみかけ、お礼を言う人になったのです。そうすると、周りも皆、優しく明るく接してくれるようになったそうです。
今では、学生達に「時間の使い方は、そのまま、いのちの使い方なのですよ。置かれたところで咲いていてください。」と話しておられるそうです。
環境が厳しくて咲けない時は、無理せず、代わりに根を下へ下へと降ろし、次に花を咲かせる準備をすればよいとも仰っています。
・つらい夜でも朝は必ず来る
オーストリアの精神科医、ヴィクター・フランクル氏は、「希望には人を生かす力も、人を殺す力もある」と、その著書に書かれています。
フランクル氏は、第二次世界大戦中にナチスに捕えられ、アウシュビッツやダハウの収容所に送られた後、九死に一生を得て終戦を迎えた方です。
彼の収容所体験を記した本の中に、次のような実話があるそうです。
収容所の中には、1944年のクリスマスまでには自由になれると期待していた人がいました。しかし、クリスマスになっても戦争は終わらず、期待していた彼らの多数は死んでしまいました。
それが根拠のない希望であったとしても、希望と呼ぶものがある間は、それがその人たちの生きる力、その人たちを生かす力になっていたのです。希望の喪失は、そのまま生きる力の喪失でもありました。
収容された人のうちで、二人だけが生き残りました。この二人は、クリスマスと限定せず、「いつかきっと自由になる日が来る」という永続的な希望を持ち、その時には、一人は自分がやり残してきた仕事を完成させること、もう一人は外国にいて彼を必要としている娘とともに暮らすことを考えていたのです。
戦争はクリスマスの数か月後に終わったのですが、その時まで生き延びた人たちは、必ずしも体が頑健だったわけではなく、希望を最後まで捨てなかった人たちだったと、フランクル氏は書いています。
希望には叶わないものもありますが、大切なのは希望を持ち続けることなのです。
経営者の皆様は、厳しい環境下で意思決定を連続してこなさなければなりません。また、非常に孤独なお立場であるかと思います。
そうした苦しい場面に置かれると、「景気が悪いから」「○○の制度が変わったから」というように、つい外部環境のせいにしてしまいがちです。しかし、そういう環境と上手に付き合って、成功される方もたくさんいます。外部環境のせいにして諦めるのか、その中で幸せになることを考えて行動するのか。
置かれた場所で前向きに生きて、描いた希望を持ち続けることにより、自身の事業を牽引していく心構えが大切だと感じました。